上八〇色村。
既報の通り、横浜ベイスターズの佐々木主浩投手が引退を表明した。
実はちょうど1年前にも佐々木は現役を続けることができなくなったと漏らしていた。
復帰ではなく復活を賭けた今季、チームの新戦力が大活躍を見せる陰で佐々木は自分の持ち場を失い、心身の衰えもついに限界に達し、決断のときがきた。
佐々木といえば98年の横浜ベイスターズ優勝の最功労者である。実に38年ぶりの快挙を支えたのは、まぎれもなくこの男の右腕とその圧倒的な威圧感であった。
人々はいつしか彼を「大魔神」と呼ぶようになり、横浜駅には「ハマの大魔神社」なる祭壇すら設けられた。僕も足を運んだが、今でも鮮明に覚えている。
もうあれから7年も経ってしまった。
当時の戦友、小魔神・横山道哉は日本ハムに移籍し、見事にカムバックを果たしている。
公私ともに相棒の谷繁は中日でバリバリやっている。
あんなに若くて速かった矢野は楽天でがんばっている。福盛もよくやっている。
だが、ヒゲ魔神・五十嵐英樹は引退した。横浜の打撃投手をやっていたというが、今はどうしているかわからない。引退直前、横須賀スタジアムで黒のベンツに乗り込んでいった光景が思い出される。ここだけの話、あのナンバーは控えてある。
野村も阿波野も投手コーチになった。進藤もコーチになった。
脳腫瘍から生還した盛田も解説者になった。
駒田もいないしローズももういない。波留もいない。中根もスカウトだ。島田もいない。
みんな、もう、いない。
佐々木とも別れのときが来てしまった。
晩年は、ファンによい印象を残せなかった。
自身の仕事を象徴する「セーブ」の日本記録も、高津臣吾(ヤクルト・現ホワイトソックス傘下)に塗り替えられたまま、追いつくことはできなかった。
私生活でも夫人との離婚に始まり、女優との不倫、妊娠、そして再婚。僕もこのときの写真は雑誌で見たが、なによりもショックだったのは不倫の事実よりもあの超一流だと思っていた選手がタバコをふかしていたことだった。そのときから佐々木に対する何かが僕の中で変わり、妙に嫌な予感が僕を包んだ。
タバコが原因かどうかはわからないが、復活は、ならなかった。
アメリカメジャーリーグでも恐れられたDAIMAJINも、もう一度満足に日本の打者を抑えることはできなかった。
過去の名声だけではどうにもならなかった。
すでにあの威圧感も、豪速球も、アゴをのけぞらせてワンバウンドする伝家の宝刀フォークボールも、投げられる状態ではなかった。
でも。
佐々木がいなければ優勝はなかった。
佐々木がいなければ横浜ファンになっていなかった。
佐々木がいなければ野球を好きになっていなかった。
明日9日、仙台での巨人戦が引退登板になるという。
チームがまだ勝利に未練があるこの時期にそんなチャンスを与えられるのは明らかに特例だ。
もう終わった投手の花道に付き合わされて2軍降格を余儀なくされた選手もいる。
ご病気を患っていらっしゃるお母さんも観戦に来られるようだ。
もしも本当に横浜ファンに申し訳なく思っているのならば、明日しかない。
それをきちんと示すことができる機会は明日しかない。
ピッチャーには、マウンドでものを言ってもらいたい。
佐々木にはそれができると信じている。
清原も、アホみたいにわざと三振なんかするんじゃないぞ。
大魔神の最後の勇姿を、静かに見届けたいと思う。
最後にとっておきを。
これは「Number」にも西村欣也さんにも書けないことだ。
僕のこのブログは、この広大なネット世界の片隅にあるちっぽけな存在に過ぎないし、文章も言わずもがな稚拙である。データもないし知識もない。十分な取材なんてものはおろか、佐々木本人に会ったこともない。
だけど、これから書くことは絶対誰にも書けないという自信がある。
僕は整形外科の手術を受けて入院していたことがある。
そのときのベッドが佐々木のベッドだった。
それは、同室の長老にきいた。その人は入退院を繰り返していて、その病院でもっとも整形外科に詳しい患者だった。
聞けばもとここは特別VIPルームだったのを、一般病室に改造したのだという。
僕のベッドには、よく見ると横浜ベイスターズのステッカーが貼ってあった。それも、少し古いデザインであった。
佐々木と会ったことがある人よりも、佐々木のサインをもっている人よりも、佐々木のベッドで寝た人間の方が圧倒的に貴重だろうと思う。
佐々木のおかげかどうか、僕は無事退院し、日常生活を取り戻した。
だから、佐々木にはちょっと思い入れがある。だから余計にここ数年の見苦しさが辛いし、寂しい。
がんばれ佐々木。明日の結果を見るまで、まだお疲れ様だとかありがとうだとかは言わないからな!