中村勘60郎。
(つづき)
世間では、「悪い人」が「悪いこと」をすると思われている。
もちろんほとんどはそうなのかもしれないが、「いい人」「まじめな人」が「悪いこと」をすることだってあるのである。
僕はそういうケースの方が多いんじゃないかと思ってるぐらいだ。
ワイドショーとかで「『いい人』だったのにね、なんであんなこと・・・」とかいうコメントをよくきくが、そしてコメンテーターたちは口々に「わからない事件ですね」などと言うが、僕にしてみれば全然不思議ではない。
だいいち、見るからに悪そうな人、問題ありそうな人というのはマークされているから派手なことは思ったよりできないはずなのだ。
それに比べ、「いい人」「まじめな人」はどうだ?
「いい人」「まじめな人」は、「自分に疑いがかからないこと」を知っている。
だから事件を起こす。「悪いこと」をする。
僕は一般的には「いい人」「まじめな人」の部類に入ると思う。
まさか僕が悪さをするなんて、あまり思われないタイプである。
まさかキレてナイフを取り出すとは思われていない。
でもそういうやつこそ危ない。
教師だって、そういうやつにはどうしたって油断して隙をつくる。
別にいい子を演じるのがつらいとかではなくて。
そもそも演じてなんかいないし。
「そういうもん」なのである。
その僕も高校時代、派手ではないがいろいろとやった。
でも疑いが絶対にかからない。
信用もあるから、カギなんかもすぐもらえる。
いま、ロンドンの同時爆破テロなどで、なんでもない日常に潜む恐怖がクローズアップされ、人々は必死になって「悪そうな人」を追放しようとしている。
でも、違う。
本気でやるならば、「悪い人」も「いい人」も「まじめな人」もマークしなければならない。
それは無理だ。
あの東京という都市で、あれだけ人間が、「いい人」「まじめな人」があふれるあの都市で、もしもそんなことが企てられるのであれば、どうしようもない。
本当にどうしようもない。